カテゴリ: 芸能

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    (出典 www.sponichi.co.jp)



    おどるポンポコリン (カテゴリ B.B.クィーンズの楽曲)
    「おどるポンポコリン」は、B.B.クィーンズの1枚目のシングル。1990年4月4日にBMGビクター(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)から発売された。 テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』第1期作の初代エンディングテーマ曲(1990年1月 - 1991年3月)であり、劇場版及び2000年11月-20
    43キロバイト (4,127 語) - 2020年5月4日 (月) 16:43



    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/06/07(日) 04:21:28.81 ID:odfoFvh39.net

    ちょうど30年前のヒット曲を紹介していきます。1990年の4月に、量的にも質的にも、まさに90年を象徴する曲が発売されました――B.B.クィーンズ『おどるポンポコリン』。この年のオリコン年間シングルチャートの1位に輝く大ヒット。売上枚数は何と164.4枚ですから「大ヒット」の前に「超」を付けてもいいですね。

    言うまでもなく、この年の1月から始まったフジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』のテーマ曲として、世に知られることになりました。『ちびまる子ちゃん』は大人気アニメとなり、90年の10月28日には最高世帯視聴率39.9%を記録します(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

    『ちびまる子ちゃん』の作者はさくらももこ。上の写真は『FRIDAY』1989年8月25・9月1日号に掲載された、24歳の頃の彼女です。突然のブレイクに戸惑いながら、それでも喜びを隠せない様子がリアルに伝わってきます。

    B.B.クィーンズの成り立ちについて、メンバーだった坪倉唯子はこう語ります――「先に『ちびまる子ちゃん』の曲をやることが決まっていて、のちに、寄せ集められたメンバーなんですよ。うちのBeingっていう事務所に所属している…近藤(註:房之助)さんと私と、ギター、キーボード、ベース…そのあとは、これじゃ見栄えが良くないっていうことで、Mi-Keっていう3人のモデルさんをオーディションで選んできたんですよ」(TOKYO FM「ももいろクローバーZのSUZUKIハッピークローバー」公式サイト・2019年9月22日)

    作曲は織田哲郎。メロディのポイントはやはり「♪ピーヒャラ・ピーヒャラ・パッパパラパ」のところ。階名で「♪ドーラソ・ドーラソ・ミッレドドレ」となり、演歌やブルース、世界中の民謡で使われるシンプルな五音音階(ドレミソラの五音だけで構成される)で作られていることも、多くの人に親しまれた要因の1つでしょう。

    ちなみに大胆な編曲も織田哲郎。本人のコメントからも、大胆なノリで編曲したことが伝わってきます――「『おどるポンポコリン』はなんせ“奇妙さ”がテーマなので、やりたい放題です。リコーダーは私がちょっと下手っぽく吹いて何本も重ねたり、ピーヒャラピーヒャラというコーラス部分はメインがボコーダーで、それにまた私が何十本もオペラ声を重ねたりと変なことばかりやっています」(zakzak「大ブーム『おどるポンポコリン』秘話 誰もそんなに売れるとは思っていなかった」2019.9.9)。

    しかし、『おどるポンポコリン』の超・大ヒットの最大の要因は、さくらももこ自身による(編曲以上に)大胆な歌詞だと思います。先の「♪ピーヒャラ・ピーヒャラ・パッパパラパ」に加えて、「♪インチキおじさん」「♪エジソンはえらい人」「♪ニンジンいらない」「♪*のプータロー」……と、シュール&ナンセンスの極み。個人的に大好きなのは、「♪キヨスクは駅の中」。そりゃそうだろうと(笑)。

    91年10月に発売された、りぼんマスコットコミックス『ちびまる子ちゃん【8】』には、まる子がクレージーキャッツ・植木等の歌う『スーダラ節』を聴いて「じゃあ青島幸男(註:『スーダラ節』の作詞家)みたいにああいう歌をつくりたい」と言うシーンがあり、続くコマで「……15年後その夢をすてずに作った歌が エジソンはえらい人ピーヒャラピーヒャラ……であった」と書かれています。

    つまり、さくらももこによる『おどるポンポコリン』の、シュール&ナンセンスの極みのような歌詞の背景には、植木等と青島幸男による『スーダラ節』への憧憬があったのです。



    https://news.yahoo.co.jp/articles/a8cd01f124eaf9d44bdde1a77419f56db3a59799
    5/3(日) 11:02配信



    (出典 Youtube)

    おどるポンポコリン B B クイーンズ


    (出典 Youtube)

    坪倉唯子 ジュテーム

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    【【裏話】『おどるポンポコリン』日本がピーヒャラ踊ったあの名曲の秘話】の続きを読む

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    (出典 amassing2.sakura.ne.jp)



    中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、1982年(昭和57年)にデビューした、日本の歌手。本名同じ。松田聖子と並ぶ80年代アイドルの双璧として、数多くのヒットナンバーを世に送った。 東京都大田区生まれ、同清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。研音、コレクション、コンティニュー、N
    96キロバイト (11,331 語) - 2020年4月28日 (火) 12:31



    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/06/05(金) 04:43:38 ID:7ccoZBHq9.net

    【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

     中森明菜のファーストアルバム『プロローグ(序章)』の好セールスにワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)内の“明菜ムード”も高まった。

    地方営業所でレコード店の営業だった担当者は当時を振り返る。

    「明菜の場合は地方キャンペーンをきめ細かくやってきたことが功を奏し、レコード販売店からの反応は、いわゆる“82年組”と呼ばれる新人の中でもよかった。ですからメディア展開以上にレコード店頭での販促展開が効果を発揮していましたね。そう言った意味でエンド・ユーザーには中森明菜の名前はかなり浸透していました」

     アルバムがチャートにベストテン入りしたこともあり、反応が鈍かった芸能誌からも取材の問い合わせが舞い込むようになっていた。

     セカンド・シングル『少女A』は7月28日に発売が決まっていた。

     ツッパった10代の少女の揺れ動く表情をマイナー調8ビートに乗せて歌ったこの作品は、広告代理店のコピーライターから転身した売野雅勇が作詞、尾藤イサオのバックバンド「ザ・バロン」でギターを担当していた河内広明こと芹澤廣明が作曲したものだった。

     ちなみに、売野と芹澤のコンビは、後にチェッカーズの作品でヒットを飛ばすが、『少女A』は文字通り、このコンビでの“出世作”となった。

     もっとも当初、セカンドシングルはデビュー曲『スローモーション』に近い路線の作品で、来生えつこ(詞)と来生たかお(曲)コンビによる『あなたのポートレート』で決まっていた。しかし、明菜の制作宣伝を統括していたワーナーの寺林晁氏(現「エイベックス・エンタテインメント」レーベル事業本部アドバイザー)のツルの一声で『少女A』に変更された経緯があった。

     寺林の判断には社内からも異論が出ていた。ワーナーで明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現「モモアンドグレープスカンパニー」代表取締役)が明かす。

     「明菜に関しては、寺林さんの指示は絶対でしたので『少女A』という決定は変えようがありませんでしたが、とはいえ第2弾も来生コンビの路線で行くべきだったのではないかという意見が、社内の一部に根強くあったのも確かです。いずれにしても、セカンドシングルの直前に発売したアルバムが好調だったこともあって、発売直前までそう言った声がくすぶっていましたね」

     もっとも『少女A』には、そんな意見以上に制作現場泣かせ(?)な難題があった。

     「明菜自身が『少女A』の“A”を自分のことだと勘違いしていたんです。それで詞の内容を含め、最初から『イヤだ!』『絶対に歌いたくない!』と言い張っていたんです。確かに10代の明菜にとっては強烈的な詞でしたから、余計にそう思ったのかもしれませんね。彼女は性格的にも繊細ですし、イヤなことは感情に表す子でしたから…。それでレコーディングも苦労したと聞きました。とにかくスタジオで『歌いたくない』と言って聞かない明菜を、時間をかけてなだめたのだと思います。結局は不機嫌な状態でレコーディングしたようですが、歌入れでは、本人にはテストと言いながら1回目から内緒で録音したと聞きました」と明かす。

     「もっともディレクターも明菜の強情な性格を知り尽くしていたので、途中で『聴いていて何も面白くない』と逆にけしかけたようです。すると急に明菜の歌に対する怒りのエネルギーが爆発して、最終的にはディレクターの納得した歌が録れたそうです。その後、セカンド・シングルにすると決めたのが寺林さんの意向だということで本人も納得したようです。とにかく明菜というのは、自分の考えや意見をむやみに言うだけではなく、一方では柔軟な考えも持ち合わせていました。ただ思い出すのは、ジャケットの…あの、どこか睨みつけているような表情も気に入っていなかったようでしたね」 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

     ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。

     NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/df96d1020ac0db113e190780143049667cb25a02
    6/4(木) 16:56配信



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    中森明菜 - 少女A


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    あなたのポートレート 中森明菜


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    【【裏話】中森明菜「少女A」不機嫌状態でレコーディング...!?】の続きを読む

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    (出典 img.cinematoday.jp)



    綾瀬 はるか(あやせ はるか、1985年〈昭和60年〉3月24日 - )は日本の女優。広島県広島市出身。本名は非公開。ホリプロ所属。 2000年、第25回ホリプロタレントスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞し、芸能界デビュー。 2001年、日本テレビ系ドラマ『金田一少年の事件簿』で女優デビュー。
    69キロバイト (7,155 語) - 2020年6月4日 (木) 00:52



    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/06/01(月) 03:00:08.45 ID:IbMNb1a09.net

    髪をばっさりと切り、とびっきりの笑顔で登場した綾瀬さん。
    いつも自然体で明るく、周りをハッピーにする太陽みたいな存在。そんなイメージそのままに、カメラの前でも常にのびやかで子供のような笑顔からオトナっぽい眼差しまで自由自在。
    作品によってまったく違う表情を見せる、まさに「色とりどり」な人。
    年を重ねるごとに魅力を増していく綾瀬さんの“今”を伺いました。

    “女優“という仕事について

    クションからシリアス、コメディまで、まさに様々な“色”を使い分けるプロフェッショナルな綾瀬さん。そんな彼女が今回新しい映画『今夜、ロマンス劇場で』で演じたのは、モノクロ映画の中から飛び出したちょっと強気なお姫様。ハマり役だったこの王女を演じるのに、じつは人知れず苦労もしたとか。

    「王女としての所作や歩き方を演じるのが難しくて。撮影当初、監督にも『なんか王女っぽくないんだよなー、ぎこちないんだよなー』って言われちゃいました。悔しいから王女が登場する映画をいろいろ観て勉強したんですけど、なんかうまくいかないんです。最後には監督にお願いして直接王女の仕草を習ったりもしましたね」

    ほんわかしたイメージとは裏腹に、仕事に対してはストイックな一面も。なんでも軽やかにこなすイメージが強いが、じつは苦手なことがあるという。

    「私、かっこよく歩くのが苦手なんですよ。今回演じた王女の役もそうですが、モデルさんみたいに堂々と胸をはって歩けなくて。監督に『恥ずかしいんですよね』っていったら、『何年女優やっているんだ!』ってツッコまれちゃいました(笑)」
    大胆と言われますが、じつは慎重な一面も。 ただの欲張りな場合もあります (笑)
    今年でキャリア17年目を迎える綾瀬さん。ずっと第一線で活躍していらっしゃいますが、30代になって仕事との向き合い方は変わりましたか?

    「ん~、変わったような、そうでもないような? 昔からバリバリ働いていないというか……(笑)。私、いままで流れのままに生きてきたので、なにかを決断することが苦手なんです。だから、今後は決断力をつけていきたいですね。恐がりっていうのもあるんですけど、いつも慎重になりすぎちゃう。ご飯とかもすごく迷うんですよ。たぶん、欲張りなんです、私。あれも食べたい、これも食べたいって思うから、一回ぜんぶの味を頭の中で想像して、食べるものを決める。ただの食いしん坊ですね(笑)」

    食には貪欲だが、お仕事に対しては?

    「自分の意見も伝えますが、仕事に関してはスタッフにお任せすることが多いです。こんな役がやりたい! というのもあまりなくて。でも、すごく負けず嫌いだから、頂いたお仕事に対してはぜったい自分もみんなも納得するものにしたいっていうのは強くあります」

    大胆なイメージだがじつは慎重で、ほんわかしているかと思えば負けず嫌い。そんなコロコロと変わる姿も、人を惹き付けるのだろう。

    「私、慎重と大胆のバランスが変、ってよく言われるんです。何も考えていないときのほうが、大胆に自分らしくできるんですよね。でもアクションシーンをやるときは、少しのミスでもケガにつながるので、さすがに緊張します。これからも私らしく、ときに慎重にときに大胆に、自然体でお仕事を続けたいなと思いますね」

    https://news.yahoo.co.jp/articles/4bfc1d7021a4b9f894df6cd1ece7e966d62b1a6a
    5/30(土) 10:20配信


    (出典 lpt.c.yimg.jp)


    (出典 amd.c.yimg.jp)


    【【さすが...】綾瀬はるかさんにとって「女優」「恋愛」「自分」とは...!?】の続きを読む

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    (出典 ryo-ishikawa.fun)



    三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手、元フットサル選手。Jリーグ・横浜FC所属。ポジションは左ウイング、センターフォワード(日本帰国後)。妻はタレント・ファッションモデルの三浦りさ子、長男は俳優の三浦獠太。 ニックネームは“カズ”、または“キング・カズ”である。
    126キロバイト (15,815 語) - 2020年6月1日 (月) 04:17



    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/06/01(月) 13:00:42 ID:IbMNb1a09.net


    (出典 image.news.livedoor.com)


    J1横浜Cの元日本代表FW三浦知良(53)とタレント・三浦りさ子(52)の長男・三浦獠太(22)が、
    芸能事務所「トップコート」に所属したことが1日、事務所の公式サイトで発表された。

    公式サイトでは「ネクストアーティスト」欄に、最新写真3点とともに紹介されている。
    15歳で単身ブラジルへサッカー留学し、昨年放送されたTBS系「グランメゾン東京」(木村拓哉主演)に出演。父親譲りの端正なルックスが魅力だ。
    トップコートは、中村倫也(33)、松坂桃李(31)、菅田将暉(27)ら人気実力共に兼ね備えた俳優が多数所属。頼もしい先輩たちの背中を追って、本格的に俳優業に挑んでいく。

    https://news.livedoor.com/article/detail/18346722/
    2020年6月1日 11時37分 スポーツ報知


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