中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、1982年(昭和57年)にデビューした、日本の歌手。本名同じ。松田聖子と並ぶ80年代アイドルの双璧として、数多くのヒットナンバーを世に送った。 東京都大田区生まれ、同清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。研音、コレクション、コンティニュー、N 96キロバイト (11,331 語) - 2020年4月28日 (火) 12:31 |
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】
中森明菜のファーストアルバム『プロローグ(序章)』の好セールスにワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)内の“明菜ムード”も高まった。
地方営業所でレコード店の営業だった担当者は当時を振り返る。
「明菜の場合は地方キャンペーンをきめ細かくやってきたことが功を奏し、レコード販売店からの反応は、いわゆる“82年組”と呼ばれる新人の中でもよかった。ですからメディア展開以上にレコード店頭での販促展開が効果を発揮していましたね。そう言った意味でエンド・ユーザーには中森明菜の名前はかなり浸透していました」
アルバムがチャートにベストテン入りしたこともあり、反応が鈍かった芸能誌からも取材の問い合わせが舞い込むようになっていた。
セカンド・シングル『少女A』は7月28日に発売が決まっていた。
ツッパった10代の少女の揺れ動く表情をマイナー調8ビートに乗せて歌ったこの作品は、広告代理店のコピーライターから転身した売野雅勇が作詞、尾藤イサオのバックバンド「ザ・バロン」でギターを担当していた河内広明こと芹澤廣明が作曲したものだった。
ちなみに、売野と芹澤のコンビは、後にチェッカーズの作品でヒットを飛ばすが、『少女A』は文字通り、このコンビでの“出世作”となった。
もっとも当初、セカンドシングルはデビュー曲『スローモーション』に近い路線の作品で、来生えつこ(詞)と来生たかお(曲)コンビによる『あなたのポートレート』で決まっていた。しかし、明菜の制作宣伝を統括していたワーナーの寺林晁氏(現「エイベックス・エンタテインメント」レーベル事業本部アドバイザー)のツルの一声で『少女A』に変更された経緯があった。
寺林の判断には社内からも異論が出ていた。ワーナーで明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現「モモアンドグレープスカンパニー」代表取締役)が明かす。
「明菜に関しては、寺林さんの指示は絶対でしたので『少女A』という決定は変えようがありませんでしたが、とはいえ第2弾も来生コンビの路線で行くべきだったのではないかという意見が、社内の一部に根強くあったのも確かです。いずれにしても、セカンドシングルの直前に発売したアルバムが好調だったこともあって、発売直前までそう言った声がくすぶっていましたね」
もっとも『少女A』には、そんな意見以上に制作現場泣かせ(?)な難題があった。
「明菜自身が『少女A』の“A”を自分のことだと勘違いしていたんです。それで詞の内容を含め、最初から『イヤだ!』『絶対に歌いたくない!』と言い張っていたんです。確かに10代の明菜にとっては強烈的な詞でしたから、余計にそう思ったのかもしれませんね。彼女は性格的にも繊細ですし、イヤなことは感情に表す子でしたから…。それでレコーディングも苦労したと聞きました。とにかくスタジオで『歌いたくない』と言って聞かない明菜を、時間をかけてなだめたのだと思います。結局は不機嫌な状態でレコーディングしたようですが、歌入れでは、本人にはテストと言いながら1回目から内緒で録音したと聞きました」と明かす。
「もっともディレクターも明菜の強情な性格を知り尽くしていたので、途中で『聴いていて何も面白くない』と逆にけしかけたようです。すると急に明菜の歌に対する怒りのエネルギーが爆発して、最終的にはディレクターの納得した歌が録れたそうです。その後、セカンド・シングルにすると決めたのが寺林さんの意向だということで本人も納得したようです。とにかく明菜というのは、自分の考えや意見をむやみに言うだけではなく、一方では柔軟な考えも持ち合わせていました。ただ思い出すのは、ジャケットの…あの、どこか睨みつけているような表情も気に入っていなかったようでしたね」 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。
NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df96d1020ac0db113e190780143049667cb25a02
6/4(木) 16:56配信
(出典 Youtube)
中森明菜 - 少女A
(出典 Youtube)
あなたのポートレート 中森明菜
(出典 i.imgur.com)
>>1
中森明菜のスローモーション聴いた時は衝撃的だったな。
来生兄弟の楽曲が好きって言うのが声を通しても伝わって来る様だった。
でも岡田有希子や渡辺麻友もだろうけど、性格は芸能界向きじゃなかった様な。
松田聖子みたいな気質ならなあ。
>>114
松田聖子は芸能界の申し子みたいな感じだったもんなw
>>1
歌詞に合わせてわざと挑発的に歌ってるのかと思ったら
マジで怒って歌ってたのかw
中森明菜の歌の中でも好きな方の歌だからこういう裏話は嬉しい
>>1
なんかよくありがちな
アイドルを目指す系少女漫画のワンシーンみたいでワロタ
>>1
だからこそのあの歌唱かい。はすっぱっつーかやさぐれてる感じが完全にはまったからこそあの大ヒットだもんな
本人の中身はただの乙女なのにな。いい意味でも悪い意味でも
少女Aで良かったな
ギターサウンドがたまらん
少女Aの曲を思い出そうとしていたら、山口百恵の曲になった
ドラマ化しろ
浜崎あゆみに続けw
ぶりぶりのアイドルで売りたかったようだから
この話は本当だろ
明菜のAじゃなかったのか
中森明菜と聞いて安田成美を思い出すヤツはおっさん(´・ω・`)
ベストテンでサザンウィンドをニッコニコしながら歌い上げてるから、役者でもあった
んだよねww
>>26
実際、役者としてもうまかった
>>73
役者としての代表作は?
映画界もそんな逸材なら放って置かなかったんじゃ?
>>141
役者としてはわからんけど
志村の番組に出たときすごい楽しそうにコントやってて
明るくて面白い一面もあるんだなと思った
色んな才能秘めてた人なのは確かじゃろ
>>149
バカ殿の町娘かな
嬉々としてやってたね
>>26
唯一ニコニコで歌う歌だから好き
セカンドシングルがあなたのポートレートじゃなくて良かったな
判断正しかった
憑依型だよね
そこらへんの大女優よりも凄まじかった
難破船の歌い方と涙一筋流してるとこは鬼気迫ってて子供心に圧倒された
>>28
難破船は、聴き入るという表現しか出てこんな
あれは凄い
語彙力が無くなる、凄い
スローモーションは好きだったのに少女Aでがっかりした記憶
ヨウツベ見てきた。
十戒がカッコいいな。
当時10代でめっちゃ貫禄あるやん。
新曲出すたびに衣装が話題になるのなんて沢田研二と
明菜だけ
デビュー当時ってよく笑ってたし可愛かったじゃん
当時、明菜は宮崎県のこどもの国にも来たからな。
第一級アイドルが宮崎のローカル施設に来るとか嘘だろと思った
明菜が売れたのは上手くカラオケブームに乗ったから
演歌歌手の売れ方に近い
事務所はアイドル歌手として売ろうとしてたみたいだけどw
明菜はアニメ声を出せる。
初めて聞いてスゲーびっくりした。
声優もやってみてほしかったけど、今はもう無理だね。
コメント
コメントする